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2017年5月11日木曜日

佐渡島のイラスト 願(ねがい)集落






今日のイラストは佐渡島「願(ねがい)」集落です。

願は二つ亀と大野亀に挟まれている集落で、先日紹介した賽の河原がある場所です。

佐渡島 賽の河原

願集落から二つ亀へと向かう遊歩道の途中に、賽の河原があります。

賽の河原と「願」という名の地名が、マッチしているようでマッチしていないような、不思議な感じです。

願をポジティブで希望的な言葉として考えると、
あの世とこの世を結ぶ三途の川の河岸である賽の河原で願うのは
合わないような気もしますが……。

自分のための願いではなく、人を思っての願い……。

亡くなった人や家族が、三途の川の向こうで幸せに過ごして欲しいという願いと考えると、願という地名と賽の河原がしっくりくるように思います。

賽の河原には、子ども地蔵がたくさん置かれているのですが、親が子を思って置かれたのでしょうね。

彼岸では子が親を思い石を積む。此岸では親が子を思い地蔵を置く。

それぞれの願いが交差する河岸が賽の河原なのでしょう。


「願」という地名の由来は、大野亀に願掛けをすると、願いがかなうということから来ているそうです。

どのような願掛けをするのか。

賽の河原という場所ですから、亡き人の幸福を思っての願いが多いのでしょうね。

ちなみに、願集落には佐渡西国三十三観音の二十三番「施願観音」があります。

1東強清水~2逢田観音~3河内観音~4観音寺~5帰郷観音~6六句観音~7斉藤観音~8宿根木~9小太観音~10子安観音~11横山観音~12豊田観音~13新町観音~14三宮観音~15下新穂~16阿弥陀堂~17火伏観音~18円慶堂~19吾潟観音~20久知河内~21白瀬観音~22見立観音~23施願観音~24岩谷観音~25入川観音~26千佛堂~27波切観音~28下戸観音~29治門観音~30知空堂~31石田観音~32本屋敷~33堂林観音

番外─光善寺、稲葉堂、大浦観音、田中観音
本部─れんげ寺

となっております。

西国巡りは人気ですよねぇ。
浦佐毘沙門堂の後ろの山にも西国三十三番観音巡りありました。

>>浦佐毘沙門堂裸押合祭り

誰かを思って願う、日本人の優しさを感じる地名ですね。

2017年5月10日水曜日

佐渡島のイラスト 賽の河原




今日のイラストは、とよじいの佐渡島紀行「賽の河原」です。
 
佐渡島の賽の河原は、両津港から車で1時間ほど移動した、佐渡島の北西の突端近く、大野亀と二ツ亀という景勝地に挟まれた海食洞穴の中にあります。

近くに「願(ねがい)」という集落があり、願から海岸線に沿って遊歩道を歩いて1kmほど進むと、海食洞穴が見えてきます。

海に向かってポッカリと開いた穴の中には、複数のお地蔵様がおられて、海辺の石を積み上げた石積みがいくつも……。

賽の河原というのは、あの世(彼岸)とこの世(此岸)の間にあるとされる三途の川の河原のことをいいます。賽の河原では、親よりも先に亡くなった子どもが、親不孝の報いを受ける場所とされています。

親を悲しませた罪で、親の供養のために、石を積み塔を完成させなければいけませんが、石を積み上げると鬼がきて塔を破壊していく。また、子どもが石を積むと、鬼がきて塔を崩す、その繰り返しが親が三途の川に来るまで続きます。

ひとつ積んでは父のため

ふたつ積んでは母のため

みっつ積んでは故郷の兄弟わが身と回向して

ここで、子どもを救済に来てくれるのが、お地蔵様(地蔵菩薩)ということで、亡くなった子どものために、お地蔵様が置かれているのです。

お地蔵様は、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道)すべての世界に現れて、人々を救う菩薩様であると言われています。

地獄の閻魔大魔王と地蔵菩薩が同一の存在であるという説もあります。

日本では、地獄の責め苦からお地蔵様が救済してくれるということで、地蔵信仰が広まり、賽の河原で鬼に苦しめられる子どもをお地蔵様が守ってくれるというので、子どもの供養においてもお地蔵様は人気でした。

「賽の河原地蔵和讃」というものがあります。
ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため……というフレーズです。

賽の河原で石を積む子どもの様子を謳ったものですが、
この和讃の最後に、鬼にいじめられ父母を偲んで泣いている子どもの前にお地蔵様が現れて、子どもを抱きかかえるというシーンが描かれています。

我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣のもすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き

佐渡島の賽の河原のお地蔵様の像も赤ちゃんを抱きかかえ、お地蔵様の足元に子どもたちが抱っこをせがむように手を伸ばしている姿となっております。
 
賽の河原は佐渡島だけではなく、日本各地に存在していいます。有名なのが青森県の恐山ですが、もともとは京都の鴨川と桂川の合流する「佐比の河原」に由来するようです。

地蔵信仰と「賽(さえ)の神」がミックスしたもの、という説もあるようです。

賽の河原やお地蔵様と閻魔様の関係などは、地獄の様子をコミカルに描いた漫画「鬼灯の冷徹」に詳しく載っているので、よかったら読んでみてください。
笑いながら、地獄極楽この世の仕組みが学べますよ♪

さて、佐渡島の賽の河原ですが、地元では2月の寒念仏にお参りをしているそうです。
そして「賽の河原にあるものは持ち出してはいけない」というルールがあります。

石、お供えなど「持ち帰る」と災いが起こると言われていますので、ご留意を。

2017年5月9日火曜日

2017年5月7日日曜日

佐渡島のイラスト 達者海岸





今日のイラストは、とよじいの佐渡紀行スケッチブックから、佐渡の達者海岸です。

達者海岸は佐渡で有名な「尖閣湾」の一部にある海岸で、透明度に優れた海で、海水浴場としても人気のスポットです。

この「達者」という名前のいわれは「安寿と厨子王」の伝説からきています。

「安寿と厨子王」は、中世の浄瑠璃の演目として演じられていた物語で、各地で民話化しています。

森鴎外の小説「山椒太夫」でも有名です。


貴族の姉弟、安寿姫と厨子王は、他者に騙され都落ちした父を訪ねゆくが、途中人買いに騙されて、同行していた母と離れ離れになってしまう。

人買いにより姉妹は宮崎に、母は佐渡へと売り渡される。

~略~ 

紆余曲折あり、復讐を果たした厨子王は母を訪ね佐渡へと向かうと、海辺で鳥追い歌を歌う年老いた瞽女(ごぜ)に出会う。

「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」

その歌を聞き、厨子王は瞽女が母であると気づき、駆け寄りすがりついた。
厨子王が近くの清水で母の目を洗うと、目が見えるようになり、母子は再び抱き合ったという。


この、厨子王と母の再会の地が「達者」であり、お互いが「達者」であったことを喜んだということから、達者海岸という名前がついたのだそうです。

母の目を治したという湧き水を祀る「目洗い地蔵」が今も残っています。

【達者海岸】
場所:佐渡市達者
アクセス:両津港から車で約60分。バス⇒尖閣湾達者から徒歩5分。

【達者海水浴場】

駐車場:20台(無料)
※更衣室、温水シャワーなどの設備はありますが、浜茶屋は出ていないようです

佐渡地域観光交流ネットワークさんで、ガイドが案内してくれる「さどさんぽコース」が企画されています。
3日前までに申し込みをすれば参加可能です♪

達者海岸から目洗い地蔵、厨子王と母の再会場所「おお坂」やクシキという竜が住んでいた「山門洞クシキ」などを案内していただけます。

地元の案内人ならではの、コアなスポットやためになる佐渡話が聞けますよ。

佐渡地域観光交流ネットワーク
さどさんぽコース「達者」。

※さどさんぽは達者のほか、岩谷口、関など8コース用意されています。
問い合わせは、一般社団法人佐渡地域観光交流ネットワークまで。

【一般社団法人佐渡地域観光交流ネットワーク】
住所:新潟県佐渡市河原田本町394番地 佐和田行政サービスセンター2階
電話:0259-67-7995

2017年5月6日土曜日

佐渡島のイラスト 七浦海岸


今日のイラストは、とよじいの佐渡紀行スケッチブックから、佐渡相川の七浦海岸です。

いかつり船を描いています。船の上に、のれんのように楕円形のものが吊るされていますが、これは、イカを呼び寄せるための灯り(ランプ)漁火です。

イカ釣り船の漁火は、宇宙からもくっきり見えるほどの明るさだと言います。

七浦海岸は漁火の絶景ポイントで、佐渡相川地区の鹿伏から二見までの7つの集落をまたぐ、10kmにおよぶ海岸線です。

隆起に富んだ海岸で、深く突き出た岬「橘の長手岬」

二つの岩が並ぶ「高瀬の夫婦岩」

縄文時代の住居になっていた洞窟

相川の町並みが一望できる「春日崎」

大きな石灯籠や断崖に刻まれた摩崖仏など、見どころ満載の海岸。

夕暮れ時になると、独特の形をした岩の影が海にうつり、紫紅の空とマッチして、美しい情景が奏でられます。

潮風を受けながら海岸線を散策し、夕日を眺めて、漁火に癒やされる。

一日の海の移り変わりを堪能できる佐渡、外海府の旅。いかがでしょう?

参考:さど観光ナビ 夫婦岩


2017年5月5日金曜日

佐渡島のイラスト 大間港の近代産業遺産



今日のイラストは、とよじいの佐渡紀行スケッチブックから、佐渡相川の大間港の風景です。

スケッチの日付は、昭和53年5月4日。ですが、スケッチブックの他のイラストの日付は83年とあるので、
昭和58年の間違いだと思います。1983年と昭和53がゴチャゴチャになって、53と書いたのでしょう。

いまから、34年前の5月GWの佐渡の風景です。

大間港は相川の市街地にあり、明治時代には佐渡金山から産出される、金や銅などの搬出が盛んに行われてた港です。

イラスト左側にみられる、白い塔のような建物はクレーンの台座です。その奥にもう一つ見える白いものが、ローダー橋と思われます。

ローダー橋は、荷物を運ぶクレーンやトロッコが通った橋の事です。

イラスト右側の赤い建物は、赤レンガ倉庫。

これらの建物は明治時代に建てられたもので、現在は使われておりませんが、近代産業遺産として見ごたえがあります。

廃墟好きな方とか、ノスタルジックな雰囲気がお好きな方にはぜひ訪れて欲しいスポット。

見どころのひとつとして、大間町の護岸は「たたき工法」の創始者である服部長七が指導して作られています(明治25年、1892年完成)。

たたき工法は、土砂と消石灰を混ぜて水で練った「たたき」と石柱を組み合わせた技術。
コンクリートが普及するまで使われていました。

近年だと、鉄腕ダッシュの防波堤で「たたき」が、使用されました(違うか……)

この、たたき工法による護岸やクレーン台座はいまでも残っているので、質感などをチェックしてみてください。

さど観光ナビに大間港の写真が掲載されているので、現在の大間港の様子をご覧になってみてください。

参考URL:さど観光ナビ~大間港


2017年5月4日木曜日

佐渡島のイラスト 千畳敷ワカメ採り




今日のイラストは、トヨジイの佐渡紀行スケッチブックより、千畳敷のワカメ採りのワンシーンです。

イラストの日付が「83」となっているので、昭和58年の旅行記ですね。

佐渡の千畳敷は佐渡の外海府にあります。
 相川町市街地の北端、下相川の海岸にある岩礁で、畳千畳ほどの広さを持つ、平らな形の岩場が続くことから、千畳敷と呼ばれています。

千畳敷を見るための橋が2本、観月橋(第一・第二)がかかっています。
橋の上から見る、月が美しいのでしょうね。

とき選書出版の書籍「佐渡を歩いて イギリス人のひとり旅」アンガス・ウェイコット著に、ワカメ採りがどんなものか、様子が見えてくる文章を見つけたので、引用させていただきたいと思います。

ただし、文章で描かれている場所は、千畳敷ではなく、もうすこし北の平根崎のようです。

誰かが歌う声が聞こえたので、私は道路から脇にそれて大きな岩陰の狭い砂れきの浜に下りてみた。

黒っぽいズボンに紺のシャツ、袖なしのウールの上着を着た小柄なおばあさんが、ゆっくりとした動作で、磯で海藻を集めていた。

左手には、キラキラ陽に輝く長い褐色のリボンのようなものをひと束抱えており、右手には短い鎌を固定した長い竹竿を持っている。

彼女はあちらこちらと海水にバシャバシャ分け入り、竿を伸ばしては海底の藻を刈り取り、すでに取り集めた束に加える。

仕事をしながら彼女は、奇妙な節のない唄、それも同じ節まわしを繰り返し口ずさむ。
 佐渡に伝わる古い仕事唄の一つだ。

 本に描かれた、おばあさんは長岡の生まれで、少女の頃に家族と別れて佐渡に来たそうです。

家を出るとき、家族がみな戸口に並んで見送ってくれたときのことが、今も目に浮かぶ、母と妹たちは、またいつ会えるかと泣いていたという。

著者とおばあさんの会話はしばらく続き、佐渡と長岡の積雪量の違いなどを語り合っています。

おばあさんの写真も本に乗っているので、よかったら読んでみてください。
イギリス人である著者の優しい情感たっぷりの視点で佐渡を巡る旅が描かれています。

2017年5月3日水曜日

佐渡鬼太鼓のイラストでつくったポチ袋


佐渡の鬼太鼓のイラストを使って、ポチ袋を作ってみました。

プリントアウトしてカット、のりで貼り付けるとポチ袋ができます♪

私の実家(トヨジイの住み家)や今の嫁ぎ先では、お祭りの際に「ご祝儀」をご祝儀袋に入れてお渡しするので「ご祝儀」と書いたのですが、ポチ袋ではご祝儀は渡さないですよね(汗)

水引のついている、祝儀袋で渡しますよね。

原寸サイズはA4半分くらいなのですが、拡大してプリントアウトしてご祝儀袋サイズにしてください。

画面向かって左の白い□部分は、お名前を書いていただければと思います。


日本のお祭りというのは、農耕に合わせた時期に行われるものが多いと思います。


春の田植え前⇒農耕の無事を願う。
秋の稲刈り前⇒収穫を願う、収穫への感謝。


農耕の神が春に山から下りてきて、稲作が終わると山に帰る。


その神様をお迎えする儀式と、感謝をしてお見送りをする儀式が春祭り秋祭りであるように感じます。


余談ですが……。
神様のお使い主がキツネとされていますが、稲の神様のお使いのキツネと仏教の神・荼枳尼天が乗っているキツネとがゴチャゴチャになって稲荷信仰が広まっています。


稲荷神は五穀をつかさどる「ウカノミタマ」で、ウカノミタマのお使いは白いキツネです。
荼枳尼天も白いキツネに乗っているので、余計混乱しているわけです。


話を戻しますね。


佐渡の鬼太鼓は、五穀豊穣・家内安全の祈願を結びつけた田楽から始まったといわれています。
田んぼに憑く悪霊を、鬼の踊りで祓うという意味があります。


鬼太鼓の舞も、佐渡各地で異なっていて、勇ましい舞もあれば、雅な舞もあり、翁が登場して豆を撒くものもあります。


それぞれの舞で、悪霊を田や里から追いだします。


能や狂言の舞にも、悪霊を祓う、追いやる、場違いであると気づかせる意味が込められているものがあるようです。


踊りを舞うことは、見る者を楽しませているだけではなく、見えない者への警告の意味もあるのでしょう。


また、見る側の喜びや楽しいという陽の気が、陰の気を押しやるということでもあるのでしょうね。


佐渡は能も盛んな地域です。


外海府からの悪霊の侵入を防ぐということで、鬼太鼓や能が守りの役目をしてくれているのかもしれませんね。